とりあえず気のむくまま...

前にもこんなタイトルで始めた企画があっという間に自沈...。この手のものは実は大変な労力=ネタ探し があるという前提を忘れてしまっているんですよね。これではね(笑) ということで、負担にならないネタを今日も探すのであったとさ...。

2002年1月のできごと

とはいってみたものの、そんなに劇的なことがあったかといえばそうではない。あったらあったで困るけれど。ともかくLet's Go Go!(w

最初はグー...

ともかく、1年以上更新をサボってしまった(泣)。その間に確かにいろんな事があったことは認める。だけど、自分自身に吉となったか凶になったかは、今の時点ではさっぱりわからない。分かったことは、やっぱり中途半端な俺がいた ということだけ。自分の歳を考えたら...あぁ、今はやめとこう。大事なことは半分寝ながら考えるべきじゃない。ということで、またもや、明日延ばし な人生を驀進するのであった...なんのこっちゃ。

Modified on 2002/01/29



この月はここまで。

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2002年2月のできごと

なんか時間がたつのが早いな...風邪ひきました。体調激ワルな日々です。

メゲた

このページ...じつは最初はIE5.5でしかチェックしてませんでした。仕事で他のブラウザを使うため、MozillaOperaでなにげにみてみたら、画面がめちゃくちゃではないか!...絶句。わかってはいたけれど、なんでこんなに見え方が違うのだろう。まあ、対応できなかった私のスキルに問題があるといえば、それで終わりですけど。

まだ、ちょっとNetscape 4.x対応ができてません。ほんとにこっ恥ずかしいです。。。

Modified on 2002/02/05



とりあえずMSI...

長年やろうと思っていたmsiインストーラによる一般アプリケーション管理をやってみました。
もちろんMS OfficeとかMicrosoftの製品なら簡単に設定できるのですが、それ以外の一般製品にはmsiインストーラのものはなかなかみあたりません。ですから、自分で再パッケージングする必要があるのです。今ここで延々としゃべったところでよく分からないでしょうが、簡単にいうと再パッケージ用のツールを使いました。Win installer LEという単語を頼りに検索をかけてみれば、私がやったことが多少はわかるかもしれません。近々顛末をアップする予定です。ちなみに作成したものはGVIMというテキストエディタで、恐ろしいほど高性能な(逆をいえば使いこなすまでがめちゃくちゃつらい)エディタです。インストーラのない本物はKaoriYaで入手できますよ。

話は変わりますが、ここ何日か寝ていません。正確にいうとかなり少ないという意味ですが...。(全然寝ないことができたらそれはいいなぁ)だから眠いです。昨日もうっかり仕事場でうたた寝してました。こんなご時世にこういう態度だと、クビになるかも〜。でも、やらなきゃならないことが目白押しなので、どうしても! これで金曜まで保つのかいな。ちょっぴり心配。あ、KoroNさんに返事を書かないと...。

Modified on 2002/02/06



銅と銀か...

今は、冬季オリンピック真っ盛り。私基本はあまり興味は強くわかないものの、かといって気にならないというわけではない。元々運動方面は強くはないので、選手の名前もよく知らない始末なのだが、それでも 清水 選手のパフォーマンスには、驚いた。関係者には残念の一言なんだろうけれど、あのような状況での接戦での勝敗は、何も知らない私のようなものですら、十分楽しめるものであった。腰痛がどうのとか、いろんな要素があったのだろうが、素直におめでとうといっておきたい。なんにも考えずに。

ところでもう一人のメダリストだが、確かに銅はすごい。すごすぎる。しかし内容を確認してみると、3つの審査カテゴリの得点のうち1つが落ち込んでいるようだ。もちろん競技者本人がどうこうという話ではない。好不調とか他の要素もあったはずだし、そもそも得点がよくなければ話にもなるまい。だがことマスコミでこの話に触れる人がいない というのはどういうことなんだろうか?文句をいえとはいってない、断じて。ただ、なんだかメダルさえ取れれば 何でもオッケー、この際ネガティブな話はだまっていようよ、という協定でもあるのか?オリンピックはいつもそうだけど、マスコミが本当にいいたいことがいえない状況に自分を縛り付けてる感じがしてならない。プロなら、もう少し考えてくれ。選手を傷つけすぎず、しかしいいたい事はきちんというスタイルを。

たったいま、ラージヒルの競技が終わったみたいだ。アマンというスイスの人がVictorian。明日の朝刊にはなんと出るんだろう。ま、今みてたから、とりあえず@お腹いっぱい。最後の3人の戦いには手に汗握ったぞ。ふぅ。

Modified on 2002/02/14



やっぱりむずかしい...?

最近、マイブームとして(笑)MSIパッケージを作ることがあるのですが、作っていて以下の感想をもちました。

とまあ、大変づくしな感があります。もちろん独りよがりな発想ではあります。誰の役にも、なんの役にも立たないかもしれないのに。
事実、こちらで作成した某パッケージについてアプリケーション作者にお伺いを立てたところ、“不必要でしょう”とお叱りを受けましたし(話を聞けば、ごもっともではあります)。今のところいくつかのフリーソフト(とはいえ、高機能なものが多いはず)について作成してますが、もちろん著作権 について考えればおいそれと公開というわけにはいきません。そう考えるとなんだかな...といういくらか“鬱”な気分になったりします。

そうそう、冬季オリンピックついに終わりましたね。日本は惨敗 のひとことになってしまいました。これ自体はスポーツの結果ですから、いいとか悪いとかコメントするのは素人の私にはふさわしくないでしょうね。さすがにそれは心得ていたつもりだったのですが、テレビ見てたらどこかのスポーツキャスターが“次につながる”大会だったと、のっけからこちらが驚くようなコメントを吐いておりました。何が“つながる”のか私にはさっぱりだったのですが、なんで日本のマスコミは見たとおり、感じたとおりに報道を行わないのか未だによくわかりません。つながるだのなんだのといったコメントはあくまでJOC あたりが今回の結果を悪いなりにどうにか生かしていくためのエクスキューズであって、報道がこれを鵜呑みにするなんて...。馬鹿々々しいというか、いつから報道はJOCの提灯持ちになったんでしょうか?もちろんそういう選択があってもかまいませんが、はっきりいってこういうコメントは聞きたくない、と素直に思った次第です。ま、戯れ言ということで聞き流してください(といいながらも悲しいものがあります...ひどすぎる)。

Modified on 2002/02/25



この月はここまで。

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2002年3月のできごと

時間はそれなりにまったりしてましたが...更新サボりました。申し訳ありません。

結論だけいえば、とにかく眠かった。。。ホントにそういう感じが今年は強かったです。あとは花見ですかね。とにかく桜が早咲きというか、狂い咲きといいますか。あったかくなるのは大いに結構なんですが、なにせ 3月なのに陽気は5月みたいな日々、身体が若干ゆるんでしまったのか、ちょっと具合が悪くなりました。私の住みかには周りに学校が多いので、この月は毎年静かに過ごせてます。だから、若干落ち着けたのかもしれないです。

問題は仕事の時だけだなぁ(笑

この月はここまで。

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2002年4月のできごと

いよいよ明けちゃいましたが(正月ではありません)どうなることやら。だいぶ温くなったので、それはとっても吉です。頭が温くなったらそれは困りものですけれどね。

眠い...

最近、とっても眠い。仕事が済めば電車の中ではいつも寝ている。

なんでそうかといえば、もしかしたら身体が悪いのかもしれないが、自分でもなんでかさっぱりだ。うちに帰っても調子は変わらず、やりたいこととかなんにもできない状況だ。寝る子は育つって歳でもないし。やれやれ。

Modified on 2002/04/19



忙しいとは?

ここしばらく仕事が忙しい。といっても、なにかスゴいことをやってるわけじゃない。ごく普通のロードーというアレだ。一日中忙しいなら、それはそれであきらめもつくが(そうでもないか)、なんだか人様が働いていない(少ないだけか)時間帯に働かないといけない。でも昼間が休みってわけじゃない。ううむ。眠いのはそのせいか。

Windows NTを久しぶりにインストールしました。単純にスタンドアロン環境でのインストールだったのに、以外と手間取ってしまった。自宅環境はプリンタがないのにかまけて手順確認をシカトしてた自分に反省。とほほ。

最近ゲーム買ったのに全然プレイしていません。なんだかなぁ。時間の経過が早い一週間だった気がする。おっとJAVAアプレットを設置しなくては。間に合うかなぁ。

Modified on 2002/04/19



ようやっと

一部の皆さん、お待たせしました(笑)。ようやくCGI を動かしはじめました。ActivePerlはすでに導入していましたがIIS連携を取っていなかったので、webベースでの運用にこぎつけていなかったのです。このたび、某方面でのリクエストがあり、JAVAチャットの設置を行ったわけです。

perl環境の導入自体はとても簡単です。ActivePerlというモジュールをインストールするだけ。問題はこのあとで、IIS連携に関して、いくつかの必要項目があるようです。主にcgiファイルの関連づけとスクリプト置き場の設定、perlスクリプトのpath設定の見直しが必要です。詳細はミケネコ研究所なんかがよさげかも。わかりやすいです。

で、私が何を設置したのかというとQuickIRCという代物。これはすでに設置済みのIRCサーバに対してJAVAアプレットを使ってwebベースでの接続を可能とするものです。ということはうちで動いてるIRCサーバがあるというわけでして。IRCはなかなか難しいです。奧も深いようですし。ともかく設置完了〜ってことで。時々重いこともありますが、それはご勘弁を(笑)。

Modified on 2002/04/21



この月はここまで。

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2002年5月のできごと

なにがなんだかわからないまま、あたたかい日々が続いてます。オツムもオーバヒート気味です。と思っていたら、今度は寒い。いよいよ梅雨間近?

暑い

最近、また端末スペースが増大した。DELLPrecision 410という旧式のマシンだ。デュアルCPUにほれて衝動買い(!!)してしまったのだが、コイツがうるさくて暑いのだ。モノはそんなに悪くないはずなのだが、いかんせん居室に置いてるせいで、どうしても静かさをもとめてしまう。まあ、サーバを部屋に置こうとする発想に問題があるというのが本当だろう。

最近、とあるイベントに顔を出してみた。Windows 2000の使い方についてオープンにディスカッションする会だ。ベンダーからも優秀なスタッフが参加していたので、とても有意義な時間を過ごすことができた。それと同時に、やはり勉強してる人はすごいなぁ、とあらためて感心したものだ。おそらくトンチンカンな質疑応答をした自分に反省。ついでにいつになってもお酒になじめない(?)のは評価すべきか、唾棄すべきか?SOHOするならするでちゃんとしなきゃ...。

Modified on 2002/05/1?



増えすぎ

今日、某氏からさらなる端末の提供申し出がありました。今度のはMMX Pentium 233な自作もので、筐体がデカいらしいのです。おおいにありがたいのですが、ここまで来ると、どこに何を置いたらいいのやら。今度のやつはProxy & Router利用を考えているのですが、できれば静かなのがイイ。枕元で24時間連続稼働がすでに2台もあるもので。まあ、静かに“しちゃえば”いいんでしょうね。自作ものなんだから。Yさん、ありがとね〜。

かなり久しぶりに髪を切りました。それだけでもスッキリいい気持ちなんですが、さらにいいことが。美容院はたのしいなぁ〜。まあ、チョットだけね:) えへへっ。

Modified on 2002/05/20



恥ずかしいことですが

恥ずかしいことですが、告白しちゃいます。私...やっとL2TP VPN環境を手にいれましたっ!いままでもPPTP VPNな環境で作業を行っていたにはいたのですが、我が家がフレッツADSLな接続のせいで、どうもうまく移行できなかったようなのです。ポイントはただ一つ、"MTU"をチェックせよ、ここのところです。後はヘルプをみればできるはず。近々内容をアップしますね。

さて、前述のPrecision 410なんですが、調べてみたところかなりの旧型であることが判明。まあPentium 3デュアルだからある程度サーバの役割は果たすでしょうが、どこまでもつかな〜。うるさいし。それでもBarracuda 4を2本も買ってしまったので、なんとか使わなければ。つーか部屋ほしい。サーバルーム(笑)。

今週はやや体調良しなので、長い間インストールしたままのDungeon Siegeが進めばうれしい。英語版であることも手伝って、なかなか先に進まないのですが、これはいかにももったいないです。“いうだけ”ははやいとこ卒業したいものです(汗

Modified on 2002/05/22



この月はここまで。

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2002 年 06 月のできごと

なんだかんだで半分来ました。暑かったり寒かったり、以外と忙しい時期でもあります、実は。夏がまちどおしいこの頃です。(身体にクルけれど)

ういんどうしょっぴんぐ

こんな時期になって、久しぶりに“眺め買い”してしまいました。仕事帰りにちょっとアキバに寄ったところが運の尽き、だらーとした時間を過ごしてしまいました。

相変わらずの怪しい街並みではありますが、けっこう見てるだけで楽しいお店もあったりします。新しくなったT-ZONEにいってみたのですが、さすが新装開店、陳列ディスプレイからびっくりするほどキレイだったりするのです。中身はMother BoardGraphic Cardにもかかわらず、知らない人がみたらいったい何を売っているのかわからないかもしれません(笑)

新築の建物に特有の資材臭がまたイイ。“こんなに新しいんだぞー”とこれでもかと主張してくれます。(新しいゴム底の靴の匂いもきらいではありません)

さて、実は自宅のVine Linuxを最近、RedHat 7.3にいきなり変えちゃいました。xinetdが使いたかっただからなのですが、使いこなせるかなー。既出の自作マシンにいれかえちゃおうかな。SCSIケーブルも買ったことだし。

Modified on 2002/06/03



ついにコワれる

我が家のマシン(Windows 2000 Server)が、突然壊れてしまった。ハードウェアではなくOS情報だ。よくある話だが、問題はこれがドメインコントローラだったことだ。ドメインコントローラが 2 つあったので最悪の事態は免れたが、復旧にはとても手間取った。くわしくは ここ に書いておくので、興味のある方は参照されたい。

おかげでメールサーバが 2 日間にわたって使用できない悪夢にみまわれた。一日セットアップってのも、なんというか...恥ずかしい(汗) おかげで部屋グチャグチャ。サーバは復旧したが、人間が復旧しないイイ見本となりました...。

最近暑くてかなわない。職場ではまだマシだが、自宅はクーラなし & 端末地獄で屋内“草津の湯”状態。どうにもならないんだろうな。引っ越しにはお金も手間もかかるし、今の住みか、以外と気に入ってるものですから。

Modified on 2002/06/06



まちがえました

まずはあやまります。以前のこの欄でL2TP VPN利用時にMTUを調整すると書きましたが、実は別の理由でうまくいってなかったようです。それは確かにMTUがらみな話ではあるんですが、Windows 2000自体の不具合で起こっていたようです。SP3で直るそうですが、パッチも用意されてます。詳しくはサポート技術情報のQ301337を見てみてください。けっこう目からウロコかも

あやまるといえば、わたしだけじゃぁなく、某サッカー通の小説家もスポーツ紙上であやまってました。なんでも今回のW杯韓国チームの事を“洗練されてない戦い方をするチーム”みたいにかいたということです。実際私もその記事を読んだのですが、たしかにある意味クソミソだったかも。“これいいのかなぁ”とちょっと感じていました。誤解のないようにいっときますが、この作家の本意はもちろん“栄枯必衰”な哀惜をこめてこれを書いていたのはわかったので、まあ作家らしい責任の取り方で潔かったのではないかと。

私のあやまりですが、詫びといってはアレですが、近々“楽勝なVPNの手法”をご紹介しましょう。期待してる人はほとんいないのは知ってます(汗

Modified on 2002/06/24



ツイてる?ツイてない?

別の欄で書いてるが、現在我が家にはサーバが 2台存在している。“サーバ”つうのがどんなに面倒なノードなのかは実際にいじってみないと感じづらいものだが、問題のひとつに停電時の障害がある。簡単にいうと電源配給が止まったときに“ぷちん”とダシヌケに切れたら後がマズいのだ。みんなの共有データが壊れたら目も当てられない。これを避けるためにUPSというサーバ用の“電池”なるものがあるのだが、UPSが 1台分しかない我が家のシステムのため、もう 1台買い足そうとしたものだ。

仕事帰りにともかくアキバにいってみる。今回は機種も決め、価格帯から訪問先の店も決めてある。ところが、事前に地図をプリントアウトしておかなかったため、あっちふらふらこっちふらふら...。あげく座り込んでノートPC広げて店の位置を確認する始末。ジロジロ見られるわ、あげく雨が降ってきてあわやPCが水浸し(笑) やっと店にたどり着くと先客を対応している店員に待たされること10分、開口一番“うちではやってません,それは通販専用品ですねぇ” もうがっくり。

どうしようもない気持ちにおそわれ、ういんどうしょっぴんぐに切り替える...と思ったのだが、今日は体調激ワルなところを推して来たのだった。。。

Modified on 2002/06/24



この月はここまで。

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2002 年 07 月のできごと

今年は“猛暑”だと誰かいってました。確かにそのとおり、と個人的には思うのでした。今月は、ここ数年来、もっとも苦しい“夏”になると、だれが予測したのか(笑) 想い出記述になってしまい申し訳ないのですが、ここは許してね。

自作地獄

ついに積年の想いを果たすべくAthlon Dual CPU自作機を作成してみました。ここに書くとアレなので簡単に書いとくと、GA-7DPXDWXP 1800+RAID 0+1で組んで...っという感じ。買ったときはまさかここまで悩まされるとは思ってませんでした。“天にも昇る気持ち”だったのですが。

放熱環境の不備に始まり、文字通りいじりたおしまくり。しかしどこをどういじっても“漫然とした”DISK I/O Error系の解消ができず、結局Onboard RAIDの不良が判明するまでの 1ヶ月間...。あまりに長かったし、ツラかったです。激しく散財もしたし(笑) しかし、さすがに自作初心者から“初級者”ぐらいまではスキルアップしたはず。

長い人生(?)で初めて“エアコンのない自宅”を憂いた日々でもありました...初体験だぁ。

Modified on 2002/09/03



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2002 年 08 月のできごと

引き続き暑い日々が続いてました。苦しい“初ヤマ”はこのときには乗り切れてましたが、新たなるヤマが。電気代を含む“経費”の重みを知る日々。ただしなぜか“出社率”は好調でした。自称“会社嫌い”なはずなんですが...。

自作地獄の本当の意味?

先に自作機制作で地獄を見た話をしたが、自作機の醍醐味はできあがりまでの過程ではないことがわかった。

とあるお休みの夜半...深夜なのにむちゃ暑。筆者はできあがったマシンにいそいそとファイルを流し込んでいました。自分で作ったマイサーバですから、感激もひとしお...。ところが、突然のリブート! そんな操作してないし、もしかして新たな障害? もう目の前まっくら。すんでのところで気を取り直し、再度よ〜く観察。すると、どうも電源が瞬断している模様。ははぁ、温度ヒューズかな、と気を取り直して設置場所をより風通しのいい場所に変更。でもだめだったので、筐体あけて電源に温風が吹き付けないようFan構成を変更。これで一安心。

ところが、今度は相棒のサーバの様子がおかしい(ウチは2台のサーバがあるのだ)。しかたなくLog調べると...。あるわあるわ、知らないうちにリブートしまくり。これ、もしかして熱暴走?しかしDELLの純正サーバよ? もはや自宅の温度環境の問題に間違いなさそうだ。しかしエアコンは買えんぞ。

これはやむなし、民族大移動を決意。部屋の中で一番風通しのよいポジションを設定。そこに自作機はじめサーバ類をごそっと移動。さらに室内環流をよくするため扇風機 2 台をフル稼働。どうやらこれで現在は落ち着いてるが、電気代には目をつぶろう。しかも、人間さまにはちっとも涼しくないんだな、これがぁ。

Modified on 2002/09/03



この月はここまで。

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2002 年 09 月のできごと

さらに暑い日々が続いてます。でも暑さ自体はもう秋の気配が...。あ、久しぶりに文庫本読みました、遠藤周作くんです。いちおう新刊だそうです。

暑い朝

最近、夜起きてられない。私がオッサン化したかどうかはともかく、帰ってきてバタンキューな日々。そのせいか今日は朝から起きてます。朝はイイなぁ。って思いたいのですが、朝から画面に向かってる私って...。職場でもおんなじ事しなきゃいけないのに。ちぇっ。

おっと、実は新しくもう 1 台自作機を組んだんですよ。前の部品のあまりを使って。GA-7VRXPをベースにして余りのXP 1800+GLADIAC 525なんです。これは一発で構築できました、やれやれ。

さっきレニーのDig Itがラジオで流れてました。小気味いい良曲だと思うんですが、Windows XPを連想してしまいました、朝から。

Modified on 2002/09/03



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2002 年 10 月のできごと

すっかり手抜きな時期に突入してしまいました。でも自宅ではちょっと困ったことに...。

またですか

ちょうどこの時期、またAthlonマシンがトラブルを起こしてえらく困ってしまったのです。それは突然起こりました...。

ある日、会社で自分のメールサーバからメールを汲んでいると、突然メールサーバが目の前から消えてしまったのです。その時は“ネットワーク上のエラーでしょ”程度に考え、あっさりとしか考えてませんでした。
ところが自宅に帰ってみるといわゆる“ブルースクリーン”状態になっておりました。しょうがないのでともかくリブートし、再起動後chkdsk /f /rをかけました。するとなんとエラーが出るわ出るわ。
直っただろうと再起動をし、念のためchkdskすると、またまたエラー...。しまいには、システム起動が出来ないところまでいってしまいました。

これはディスクがお亡くなりになったか、と予備のものと差し替えるため、全部のディスク(4台あるのだ)をはずし、古いマシンに付け替えて問題のディスクを探します...。ところがこれが見つからない。どれも完全に動作し、FAT32にパーティションを切り直してDOSレベルのscandiskですら全く正常です。CPUM⁄BBIOSからみた状態では異常なさそうです。調べれば調べるほどハマる日々...。

見かねた職場の先輩が“RAIDコントローラやM⁄Bのチップはどうなの?”と指摘してくれましたが、RAIDボードは新品外付け、ついに本体交換か...と内心真っ青な気持ちになりました。
途方にくれながらも、とりあえず動いてるところを見て気を紛らわせようと思い、動作中のサーバを開けてみたところ、あれ? ボード上の本来動いてるはずのFanが回っていません。Northchipのコントローラが熱暴走してるのか?さらに調べるとFanになにかゴミが絡まっていたのか、カチカチな状態になっていました。仕方なく解きほぐし、物理的な障害物がないことを確認して、再度取り付けると今度は勢いよく回ってくれました...。

あれほど悩まされた障害もそれとともに消失したので、やはりチップの熱暴走だったのだ、と実感できました。実はこのマシン、アイドル時にもそれなりに熱を吐くのですが、負荷がかかると一気に高熱を吐いたりします。Fanの問題で熱対策に問題があったのに、BIOSレベルではアイドル状態しか分からなかったので異常を発見できなかったというわけです(ファンの回転数は確認できない場所でした)。やれやれというのか、なんというのか。

“やっぱりAthlonだね!とっととステステすれば?”と仲間に文句たれられたことは黙っておきましょう...。

Modified on 2002/12/03



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2002 年 11 月のできごと

寒い寒い。でも、去年買った石油ファンヒータが役立ってます。あとサーバの発熱も以外と...。

こんな暮らしです

割合、ヒマに思われてるし、自分でもそんなものだと思っていたのですが、最近ちょっと違って来ました。その話の詳細は今は書きませんが、なかなか自分の時間が取れません。そのせいか休みの時の呆け方にかなり気合いが入ってきてしまいました。

ある日の日曜日...起床はお昼。これはだれにでもあるでしょう。しかしここからがわけわからんことがよくあります。起きて端末の電源をいれるのはいいのですが、ぼんや〜りwebサーフ。なにをみているわけではありません。たま〜に答えてねっととかNetNewsとか...。昔はもっとバシバシ解答してたのですが、最近はイケません(笑)

そうこうしていると、あっという間に夕方に。普通なら解答までしなくても、ゲームとかメールとか、せっかくパソコンがあるのだから、もうちょっとやりようがあるというものです。あ...サーバのメンテナンスだけはやってます...あとあと怖いんで(何が?) で、さらに夜が更けてもいっこうに変わりなし。あ...よく仮眠は取るかもしれません。

普通の人が眠るころの時間になると、ようやくお腹がすいた自分に気づくことはわりと多いのです。が、夜更けなんで食べ物屋もやってないしスーパマーケットも閉まってます。コンビニに行くのもたるい時には、何も食べずに寝る...じゃあなくてこのあたりから、ちょっとした検証や解答やメールや作業が始まります。たいていはふつーの夜更かし君が眠る時間には眠れることが多いですが、そうでない時は悲惨です。

空腹と睡眠不足を抱えて、翌日仕事場へ。こんなシチュエーションでは絶食しても割合平気です。でも、仕事場モードに替わってしまうとむしょうに食べ物が恋しいというのは何か問題があるのでしょうか?

Modified on 2002/12/09



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2002 年 12 月のできごと

もうとっくに2003年に入っているんですけど...。来年の事をいうと鬼が笑うそうですが、去年の事をいうと?

ほんものの買い物

私はういんどうしょっぴんぐ専門という話を前にしたと思いますが、この年末は思い切って本物のアイテムを金を出してゲットしてみました。役にたつものか豚に真珠なのか、もうしばらくしてみないとわかりません(笑)

デジタルカメラ
説明はいりませんね。文字通り写真を撮る道具です。かなり張り込んで(私としては)Dimage 7Hiってやつを買いました。これ、実はかなりいろんな事ができて(好きな所へのオートピントとか)、その上オートが基本ながらマニュアル操作も一眼レフ並みの調整が可能なモデルみたいなんです。500万画素なんで、あとは私の腕前があがるのを待つだけ...。夜景とか暗がりの撮影が好きなので、手ぶれが多くてちょっと公開出来る写真は僅少です。そのうちね。
上着
見せるひとがいないせいなのか、あんまり着るものには頓着してない(知人談)な私ですが、今着てるものが機能上怪しくなってきたので、アメ横でBranded 808Zとかいうものを買いました。マケさせて33,000円(税込み)で買ったのですが、これ元値は199ドルなんですよね。高いのか安いのか...相場が分からないというのは。でもさすがに暖かい。innerもはずせるので3シーズン着れそうなんで(初夏や残暑はムリ)、これは役に立ちそうです。

他にも服やら靴やら、日頃買わないものばかり買ったので、なんだかふつーの人ごごちになっておりました。でも、本来の私はできそこないなアナーキストなんであんまり似合わない...じつはぴったりだったりして(笑)。あ、これ買ってしまいました。でもほとんど遊ぶ時間がない...。

Modified on 2003/01/21



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2003 年 1 月のできごと

う〜ん。今年もなんとなく、明けたって感じ...と予想していたのですが、全然違いました。だって今年はのっけから違うアクションを起こすので、いろいろ忙しかったのです(笑)

チャブーン、パスポートを取る

お断りですか実はこれ、後日談になっております。忙しくてちょっと書けませんでしたので...。

さて、経緯はちょっと省略させていただきますが、なんと突然海外研修に行くことになりました(笑)。ともかく行くと決まったのですから、それなりの準備をしないとアレである、とともかく準備をすることになりました。ところが業務に気を取られているうちに、あれあれと日付だけが過ぎていきますので、ともかく間に合わないと困るパスポートだけでも取っておこうと思ったわけです。

私がいったのは有楽町の交通会館内にある "生活文化局都民協働部旅券課有楽町分室" というところです。ここは、営業終了時間が17:0019:00という変則スケジュールなので、会社の後にでもなんとか到達できそうです。必要な書類は以下の通り。

  1. 戸籍謄本(家族全部が載ってるやつ)
  2. 住民票
  3. 写真1枚(指定の大きさ)
  4. はがき1枚
  5. 身分証明書(できれば写真付き)
  6. 印紙代15,000

いつもと同じ髭ぼうぼう、髪ぼさぼさという出で立ちで、ともかく写真をとるところから。最近は自動撮影機があったりしてとても便利ですが、取ったら切らなきゃならない(笑)。お店でやってもらっているうちに終了時刻が刻々と近づいてきたので、ダッシュで有楽町へ。

ともかく行くと、終了まであと5分! あわてて書こうとして書き損じてる私に係員の方が、“ゆっくりでいいですよ”と声をかけてくれました。ひとつ困ったのが“サイン(Signeture)”です。やっぱり英語で書かないと...と思いこんで、なんと3枚も書き損じてしまいました。係員もあきれたのか、“漢字で大丈夫ですよ”といってくれて、ようやく我に返りました(笑)。ただし、サインをこれと決めたら、トラベラーズチェックにも同じ署名をしなければ無効です。まあもっとも慣れたものがいい、ということで。

で、受付で申請書類をチェック。写真をみて係員が、“これ、写真が暗いのでとっても写りが悪くなりますよ。それで構いませんね?”としきりに確認を求めてきました。どうも10年使うということで、写真写りにこだわる方が多いようで...とおもったら、写真の私は黒革ジャンに、髭ヅラという明らかな犯罪者顔。気ぃ使ってくれたんですな(笑)。ただし私の場合は、申請上不備扱いになる可能性があるほど暗いとのこと。ともかく交付待ちということで、その日は終わりました。あぁ、思わず有楽町のソフマップに閉店までいたとはいうまい(笑)。

10日後、数日前に来たはがきを持って、再び有楽町へ。このときに印紙代と身分証明書が必要ですが、問題なければすぐにもらえます。赤い手帳を開けて確認すると、そこにはしっかり犯罪者顔した私が写っています。バリバリ、ライダー革ジャン着てたりしてます。これ、入国審査で問題にならんかいな...。ちょっと考え込みましたが、ま、大丈夫だろうと懐にしまい込み、またまたソフマップに行ってしまった事は、日記だけに書いておこう...。

Modified on 2003/02/23



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2003 年 2 月のできごと

今月は、たくさん書くことが...。初めてづくしかも。

初めての海外旅行って...

いきなりですが、今飛行機に乗ってます。某企業の某研修会のため、一路シアトルに向かっているのです。私、飛行機に乗るのは初めて、もちろん国際線に乗ったことなどありませんでした。こんな形で実現するとは...。ちょっと思いつくまま、いろいろ書いちゃってみましょう...。

研修が海外というのもスゴイですけど、経緯はともかく、とりあえず以下のアイテムを持って成田空港へGOしてみました。

これをスーツケースに突っ込んで、約一週間の旅がはじまったわけ。成田エクスプレスでいけばいいかということで、なんとか成田まで到着。ところが、待ち合わせた場所がよくわからん...。うろうろしていると今回の研修メンバーの一人が声をかけてくれ、やっと人心地(笑)。さっそくスーツケースを渡すために手続きを。手続きは簡単、と思ったら旅行会社のブースが見つからない...これには焦りました。でやっと見つけてクロークに荷物を渡そうと...ところがスーツケースベルト締めて鍵はずしてといきなりのお達し(セキュリティレベルが変更になってるようです)。買いに走らされました(泣)。なにかにつけ、物いりだなぁ。

旅行会社と会社とのミーティングもそこそこ、出国手続きをすませ搭乗ゲートへ(予定が早まったらしい...普通はないことだそうな)。私はぎりぎりまで仕事で準備がつかず、両替やら任意保険やら入ってなかったので、手続き前に窓口で済ませたのですが、はっきり言って煩わしいので、事前に済ませておくといいでしょう(保険は旅行会社が斡旋してくれるし、両替は銀行です)。ノースウェスト航空だったので、42番ゲートといういちばん遠いゲートに向かっていったのですが、出国手続きをしてくれるOfficerの皆さんの態度がちょっと...愛想なさすぎというか。“とっととやって! 手間かけさせないでちょうだい!”がありありな態度で、思わず手袋をどこかに落として(忘れて)しまいました(泣)

なんだかんだでやっと“外国”に足を踏み出すと...さっそく目の前に飛行機が!うを〜、いよいよこれに乗っていくのかい、と思いながら搭乗口へ。他のメンバーと合流して、ゲートくぐると...おお入り口のドアが目の前に。いやが上にも期待が高まります(笑)

機内に入ると、雨後の竹の子よろしくたくさんの方がうごめいてました。なんか夜行電車の場所取りみたいな状況です(笑)。もちろんエコノミーなのでこれは当然ですが、座席が狭い...噂どおりでした。新幹線の自由席よりいくぶんマシって感じでした。荷物をあげて、しばし談笑...やがてアナウンスがあり、機がタキシングされて滑走路を移動してゆきます。で、タキシング時間は15分ぐらいはあったでしょうか。目の前に(実際は脇の窓越しですが)にいよいよ本滑走路が広がってきて、機はゆっくりタキシングされていきました...まさにMSフライトシミュレータそのまんまのこころもちでした。

突然、機が加速を始めました!燃料が重いせいか、なかなか離陸しませんでしたが、やがてふわりと離陸してくれました。みるみる下に風景が広がっていきます...いやはや、実際の光景はまったくきれいですね。しばらく眼下の風景を楽しんでいましたが、やがて雲海が下に見えたのでとりあえずウオッチングはその辺にして、イヤホンで音楽でも聴こうか...と。いくつかのチャンネルから音楽と機内上映の映画を選べるのです。とりあえず英語に慣れるため(英語での講義なので)、英語放送をBGM代わりに聞いていました。

そのうち食事が出てきました。チキンパプリカ風味とポークカツ丼から選べましたが、“機内食の日本食はしょぼい”とアドバイスされていたので、チキンを頼んでみました。出てきたのは...チキンの1/4切り身をソース和えにしたものに、付け合わせとしてヌードル(うどんじゃないよ)がついてました。あとはサラダと角切りフルーツとSUSHIとパンって組み合わせ。mealですな。仕方ないです。ちなみに食後にアイスを配ってくれましたが、これカチカチでしばし解凍後おいしくいただきました。

機内の様子ですが、なんか深夜高速バスとあんまり変わりません。機内暗いし。ただアテンダントがもちろん米国人なんで、なんというか...おおらかな感じです。“対価にふさわしいサービスいたします”ってノリ。エコノミーでは型どおりの対応の他は、“きちんといわないと”サービスしてはくれないです。でもいえばきちんとやってくれます。頬杖ついて他のアテンダントと打ち合わせたりする姿は、ほーと思ったりしたものです。

いろいろ書いてたら、そろそろバッテリー切れのようです。続きはこの次に。機内がちょっとうるさいです。主翼の横に席があるせいですかね...。

Modified on 2003/02/09



初めての海外旅行...その2

さて、なんだかんだでシアトル空港に到着。朝だったので(6:30頃)ともかく眠い目をこすりながら、入国審査の窓口へ。革ジャンとオレンジの怪しいスニーカの取り合わせだったので、“ビジネス”と告げると“どんなビジネスなんだ?”とすごまれる始末。なんとか説明を終え(というより前に審査を受けた同行者が説明していた)、ともかく空港を出ると、お決まりの観光にいくことになりました(チェックインまでだいぶ時間があるため)。

とりあえず、シアトルの市場"Public Market"へ。早かったので店がまだやってませんでした。基本的に海産物をやってるお店(つまり魚屋)が多かったようです。その後、名物"STARBUCKS Coffee"一号店でトールラテを注文。ロゴがちょっとちがいます。おねーさんが注文を受けると紙cupを投げるのがかっこいい(笑)。その後、シアトル地場産業のボーイングがやってる航空博物館を見学。キッシンジャー時代に実際に使われた(大統領専用機)が展示見学できるのですが、これがなかなかカッコイイ。大統領夫人愛犬用の出入り口もあったりするシロモノです。

シアトルの東京タワー(京都タワーというべきか?)の "SPACE NEEDLE" で下界を眺めた後、最後の締めくくりはもちろん "Safico field" へ。神戸から来たという係員の方に球場内を案内していただきました。実際にフィールドまで降りてみたのですが、芝は割と長めで、とても広くて気持ちよかったです。東京ドームじゃあこうはいかないでしょうね。

ホテルに着いてさっそくチェックイン。知らなかったのですが、こういう場合は(予約を取っていたとしても)デポジットがいるのですね。クレジットカードの提示(追加フィーはカード払い)を要求されました。その後研修の準備のための要件を済ませてから、研修仲間と食事をして、終了。

部屋ですが、ツインルームでなかなか広くて、居心地がいいお部屋でした。もちろんルームサービス完備、朝食ルームサービスもありましたが、予算オーバが怖いのと、もともと使いつけてないせいで利用することはありませんでした。あと日本のホテルのように歯磨きセットやひげ剃りはありませんので、これは買っていってよかったと思った次第です。ちなみに電器製品ですが、コンセント自体は100 V型のプラグで、115 Vが利用できるものであれば大丈夫だと思います(少なくとも私は問題なかったです)。ちなみにホテルから数回ローミングによるダイアルアップを行いましたが、問題は特にありませんでした(しかしホテルの契約先電信会社によってフィーは異なるので注意!)。できれば出国前に、国際電話を利用してでもローミングの接続試験は行っておくべきです。GRICがメジャーですけど、現地国内からしか通話できない番号もあるので、複数のダイアルアップ番号を登録しておいた方がいいでしょう。

翌日から研修が始まったわけです。詳細はちょっと書けませんが、英語が...ちょっと敷居が高かったです(私には)。勉強の必要を痛感しました。そういう意味では課題が残った結果になりました。研修中に何度かパーティがあったのですが、楽しかった反面言葉がわかればなぁ、と感じた次第でした。そんな中でも、なんとか話が通じた時は、それなりにうれしかったりしたものです。スケジュール的にはきつかった(つまり一日中ぎっしり)わけですが、いろんな方が手助けしてくださったので、あんまりメゲたりすることはありませんでした。ヨーコさん、ミハイさん、本当にありがとうございました。

もちろん、もっと書くことはありそうですが、ともかくびっくりなことが多かったのでちょっと整理がつかないです...。今、帰りの飛行機の中でこれを書いてます。かなーり後ろ髪を引かれる思いなんですよね。今度こそ英語勉強して、しっかりコミュニケートしたいもんです。それじゃあ、もう一寝入りしますか...。

Modified on 2003/02/13



初めての海外旅行...後記

上に書いたようにともかく、アメリカに行ってみたわけです。日本に帰ってきて、自分自身ずいぶんカルチャショックを受けました。後記として、いくつかしたためておこうかしらん。

シアトルの街並みですが、顔つき自体は日本の都会とあまり差はなかったみたいです。ただ、あちらは区画がすべて直交型(京都みたいに)になっていることと、坂が多いことでしょうか。これは氷河を切り出した地形生成の結果こういう形になったようなことを、いっていました。また、ぎらつくネオンサインがないということも、こころ安らぐ街並みを醸し出しているのかも。ちなみにハイウェーになるとさらに日本の高速道と似てきます。もちろん右側通行ですし、左右の景色はかなり異なる(道路脇にはすぐコテージ風なお家が点在してます)のですけど、針葉樹の種類が日本のものと異なる以外は、ふっと日本にいるような心持ちにさせてくれました。ホームシックなど皆無ですし、自分自身はすぐにとけ込める感じがしたものです。変わったところでは湖に浮いてる橋"Floating Bridge"ってのがなかなかよさげでした。これは日本にはちょっとないように思います。ちなみにシアトルは夜になるとほとんどの店が閉まってしまうらしく、21:00ごろはほとんど歩いている人はいませんでした。街角になぜか立っているおじさんがちょっと寒そうで気になったのを覚えています(一度だけホテルの近所に出てみました)。

英語を話す皆さんはとにかく積極的でした。あらゆるコンタクトやコミュニケートが必要な場所において、本当によく発言します。ここら辺で英語に難がある私は大変なところがあったのですが、実際の所使えない英語ででも私に発言を求める(片言でも可)ことがあり、助かったというかありがたいというか...。陸の孤島化となったらどうしようと内心思っていましたが、そういう心配はありませんでした。しゃべりながら自分の意見をまとめる人、じっと熟考して満を持してしゃべる人...ここいらは日本と変わらない気がしました。あと他人に対する気遣いが日本のそれとはちょっと違います。日本人はどちらかというと“場の雰囲気をそがない”意味での気遣いに対して、あちらはあくまで個人レベルでのそれの感じがします。いろんな人と話すことで、自分を作っていくといいますか...。ともかく、“人と会うのが楽しくて仕方がない”こういう感じでしたので、知らず知らずに私もそういう世界に引き込まれていました。おそらくいつもの無愛想な自分とはまったく異なる表情を見せていたに違いない、と我ながら思っています。

ともかく外国にでて、まったく違う自分を再発見というか、再構築というか...。正直生き返った心持ちをあちらで常に感じていたので(ホテルのベッドか気持ちよかったのかな?)ぜひともこの気持ちは持ち続けていたいものだ、と思っているところなのです。でももう少ししたら日々の雑務に疲れて埋もれちゃうのかな、って不安も合わせて持っています。駅前留学でも本気で考えようかなって(実際はもっといい学校もあるようですが^^)思うこの頃です。とりあえず、持ち帰った資料とUSA TODAY Newspaperをぽつぽつながめておりまする(笑)

Modified on 2003/02/22



やっぱり日本人...なのかなぁ

ちょっと仕事が忙しい。忙しいのはけっこうなんですけど、帰ったらバタンキューな日々なのです。こうなるとなんで毎日生きてるのか、よく分からなくなってくる。アメリカはよかった...とかいってる場合ではないのだが、やっぱりこうなると、あちらは自由だなぁ〜とついつい思い出してしまうのです。単純に自分のいたらなさが、状況を悪くしてるんでしょうが、なんだか用心深さが最近欠けてる自分。今週は特に忙しいよ!やっと今日は人並みな時間に帰宅です。

こっちにもどって10日間、もうすっかりもとどおり、っていうかそれならそれで幸せなんでしょうけれど、いろいろ言いたいことをいってしまうようになりました。こちらがクライアントならいいのですけど、お金もらってる身ではねぇ。違和感感じてます。でも、慰めてもらって、ずいぶん和んだりしました。まあ、ぼろを出さない程度に押さえて(笑)しかし自分を押さえつけすぎないようにしたい..向うに行く前は当たり前だったことが、今ではちょっと我慢しきれなかったりします。こういう気持ちは押さえつけたくない、っていうのが本音なんですが、これで誤解されないようにきちんとやっていきたいです。

今週はいろんな人からメールが。まくわうりさんありがとう。やっぱりお友達から連絡がもらえるとうれしいものです。素直になれてはっぴぃな気持ちなのです...。

Modified on 2003/02/27



この月はここまで。

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2003 年 3 月のできごと

実は4月に入ってから...いえいえ、5月にまたがってまで書いてます(笑)。ですから、すごい過去の記録になってしまうのです...。まずいなぁ。

忙しすぎることって...

3月ってみんなそうだと思うのですが、なんだかんだでとても忙しくなりますよね?私が出入りしていたところもそんな感じでした。9時に出社して帰りは21時過ぎ、ヘタを打つと午前様...。今までこういう展開は割と少なかったのですが、突然毎日コレになってしまったんですよね。午前様クラスだとタクシーで帰らないといけなかったりして、残業代もらっても割に合わない展開になったりしてました(残業代もらえるだけ幸せ?)。それはまあ仕方ないとして、帰ってから何にもできない展開というのはちょっと困りましたねぇ。風呂にも入れず、バタンキュー(笑)。作業も勉強も手つかずで、日にちだけが過ぎていく...。休みの日も疲労のあまり、ほとんど寝て過ごす...。仕方がないとはいえ、ちょっと不満でした。

こういうのってまぁ、私が怠惰といえばそのとおりなんですけど、こういう環境でもうまくというか、きちんとこなしてる方っておられるんですよね。そのレベルから見るとやれやれとは思われるいうことは理解できてます(笑)。なかなか、自分の時間を取るというのは、それ自体にエネルギーがいるのかなぁという思いに駆られていましたっけ。...ってちょっとなんか島流し気分な私です。

Modified on 2003/05/10



この月はここまで。

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2003 年 4 月のできごと

いろいろ考えて決めたこと...ともかくめいっぱい過ごしてみようか(^^;

ヒマすぎることって...

ちょっと自分のために時間を割くことにしました...これはこれでなかなか楽しいかも(笑)

まず最初の一週間は、身体が出勤スタイルになってるので、とっても有意義な一日...と思いきや、そんなことはない2日もすればすっかり休日モードになってしまいました(笑)。で、昼までだらだら寝て(ぉぃ)午後からちょっとお勉強、で夜は某掲示板のウオッチ...と何してるんだか分からない暮らしぶり。ちなみに私はネットゲームはやらない(持ってます...がFF系ではないです)人なんで、そっち方面にのめり込むことはなかったです。変わったことといえば、

あたりになるのかなぁ。気持ち的には結構新鮮だったりして。なんだか学生気分です(笑) 逆に変わらなかったこととしては

というわけですね。でもすっかり身体が慣れてしまうと、どんどん就寝時間と起床時間がずれていく...。気をつけないといけません。あとはなるべく節約(勉強のための費用はとっとかないといけないので)してるせいか、わりと小食になったかも。一日一食という日もなんか増えたなぁ。ぅ、食べてない日もあった(汗)。その他の注意点としては

  1. 生活時間のパターンをなるべく守る(身体こわします)
  2. 人となるべく会う(これは重要です...)
  3. ポジティブ志向でいく(後ろ向きになると腐ります)

あたりが大切になってくるんじゃあないかという気がしてます。でもやっぱり静かすぎるよね、いささか(笑)

Modified on 2003/05/19



この月はここまで。

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2003 年 05 月のできごと

今思い出せばですが、だんだん社会からとぉ〜くなってきたなぁと感じられるようになってきた時期だったかと。

芽生えた焦り

思い出しモードで書いております...どうかご容赦を。

せっかく取った休養だったのですが、この頃からだ〜んだん厳しく感じられるようになって来ていたかもしれません。毎日休日というと聞こえはいいですが、結局世のためにも人のためにもなっていないし...時間も無駄に過ごすパターンが増えてきたのもこの頃から(正確にいうと無駄に時間が過ぎていく自覚が芽生えたといえばいいのかな)。いろいろやりたいことややるべきことがあったはずなんですが、虚無感が広がっていたのか、ほとんど手につかなくなってきました。

とりあえず次の仕事を探してみたりしていたのですが、キャリア的に職種を変えたい(つまり業務実績が薄い)ことを告げると、ほとんどがなしのつぶて...。わかってはいましたが現実はやはりこんなものでした。日頃はあまりいろいろ考えないクチでしたが、このときは悔しい&つらい気持ちになりました。もともと自分のやりたいこと(勉強していたこと)と今までの仕事内容が乖離していたための決断だったんですが、“いままでやってた仕事がイヤなら、相手にならない”といわれてばかりいると、やはりよい気持ちはしません。

気晴らしのため、近所の大きな公園にふらりと出向くと、けっこういろんな人がいるんですよね。若い高校生が集会とか酒盛りしてたり(汗)、近所のおじさんおばさん、おじいさんやおばあさんが憩っていたりもします。夜にいくとなにやら訳ありげなカップルや、楽器を練習する人なんかがホームレスのおじさんにどやしつけられたりして。何人かの方とお話しする機会がありましたが、皆さん苦労しているんだなぁ...ということもしばしば。慰めにはなりましたが、このままじゃいけないな、と思わずにはいられませんでした。

Modified on 2004/05/03



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2003 年 06 月のできごと

さて、いい加減社会復帰するか...と一念発起。成果のほどは?

チャブーン、ハローワークに行ってみる

思い出しモードで恐縮ですが、さてさて今までお世話になっていた請負元と結局条件で決裂してしまった事実を認めない訳にはいかない状況になったので、いよいよ本格的に仕事を探すことにしました。そのほかほったらかしにしておいた“失業保険の交付手続き”を行うため、ハローワークにいってみました。

最寄り駅から、10分弱ぐらい歩いたビルに私が世話になるハローワークはありました。まずビックリしたのは、これでもかこれでもかとの人の多さ!本当に世間は失業&不景気なんだとあらためてよく分かりました。中高年の方のみならず、若年層が多い...これにはちとくらくらきてしまいました。

まず、最初に書類にいろいろ書き込んで提出するところから始まるのですが、これ自体は項目が多いものの、内容自体は難しくないです。チャブーンは失業保険についてなにも知らず、直前に確認したのですが、交付申請日に遡っての申請はできないこと、資格取得後60日間に申し込まねばならないこと、退職理由に会社都合と自己都合の区分があり、これによって受給期間が3ヶ月ずれ込むことがあるなど、事前に知っておくべき事多数で、状況が分かったときにはだいぶ凹んでしまったりしました。

私は本来4月から申請するべきところ、この時期にずれ込んだことはこちらの非なので愕然としましたが、退職理由は会社都合だったのでなんとか早い段階での受領ができることがわかりました。で、これ申請したらしっぱなしではダメで、説明会や資格確認に来所しないと受領ができません。そのたびに本人が出向いて説明を受けないといけないので、結構骨が折れるといえばそうなのかもしれません。

資格を得ると最高で190,000円程度の金額(在職時の所得額によってちがう)が大体月一でいただけるのですが、もちろん回数に制限があるので、限定されたリソースで何とかしなくてはなりません。相談員窓口や求人情報検索パソコンには人が群がっていて、多くの方がディスプレイにかじりつくように職種を探していました。私もちょっとやってみましたが、チャブーンの探していた関連の職種は“あるにはあるけれど...僅少”といったところでした。賃金も相場どおりかやや低い設定のように見えました(他の職種についてはわかりません)。実はこういったリソースを利用することが、資格確認には必要だからこそ(でないと保険金がおりない)なのかもしれませんが、ときどきいわれるような“保険で食べてて労働意欲がない”な人はずいぶん少ないんじゃないかとも、思えました。だって目の色がちがうんですもの。

よく分からなかったのは“(社会的な意味で)なにか作業を行った場合、すべて報告せよ”という項目でした。給金の有無にかかわらず、ですが、これは公正を期すためなんらかのチェックをするということなんでしょうかね?ちなみ相談員の方はかなり親身に相談に乗ってくれるようです。また相談している人がかかわっている企業や講習、その他のリソースに対して、マメに電話で確認を取っているところが印象的でした。ちなみに希望すれば、スキルアップのための各種講習会を受けることができます。IT系が多いようですが、人気講習(?)はなかなかとれないということもあるようです。

ともかく、これでしばらくは食いつなげる...と一安心して、ハローワークを後にしました。あ、よく考えたら私が“保険で食べてる人”になっていますね(ぉぃぉぃ)

Modified on 2004/05/03



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2003 年 07 月のできごと

牢人生活ともお別れ...ちょうどほっとした時期でもありました。

社会復帰(?)最終章

ハローワークに通ってまで社会復帰をねらった私でしたが、結局ハローワークには“お金をもらいに”だけ通うこととなってしまいました。かなり迷いはありましたが、結局とりあえずは“今までどおりの仕事”でもきちんと社会に戻ったほうがいい、とこの時期には私の中で判断していました。うまい具合につてがあり、そういう会社でお世話になることにしたわけです。

ともかく“ほっとした”というのが最初の印象でした。まあどのみち社会で汗を流さなければやっていけないことはわかっていますし。まず肩の荷が下りたという気持ちが最初に来たというのを覚えています。特別に何かを準備するといった要求はなかったのですが、いままでなかなかできなかったActive Directoryの細かい部分の勉強などをしていました。

ただ出向くだけでお金がもらえる失業保険ですが、これも終わりにしなければなりません。ハローワークに出向いて説明を行うと早期に再就職できたとのことでこの場合に手当がでるとのこと。申請をお願いすると、たくさんの書類を渡されました。失業保険の申請時よりなんか量が多いです...。結構大変だな、思ったのを覚えています。ちなみに申請は通りましたが、金額は10万円にも満たない程度の、通常の給付額からするとかなり少な目なものでした。この程度なら無理やりこんな制度を導入しなくてもいいような...。

古い友人から、昔亡くなった共通の友人を偲ぶ旅行の案内が。古い仲間との再会を期して、この月を過ごしていたように思います。

Modified on 2004/05/03



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2003 年 08 月のできごと

いよいよ社会復帰...しましたが、その他いろいろ。

初めての北海道

ようやく仕事を始めた身でしたが、共通の友人を偲ぶ集まりのため、時間を取って初めて北海道の釧路に行きました。

今年はなんだか遠出する用件が多いかなとも思いましたが、故人のご両親や友人とも会えると思い、楽しみにしていました。前回のシアトルで飛行機には一度乗ったのですがチケット購入からだとそれなりに準備しておかないと、と考えていたら気の利いた友人が格安チケットを買ってくれていたので、大変助かりました。ありがとう。

羽田でメンバが一同に集まり、しばしの懐かしい話もそこそこに、ともかく現地に向け出発しました。手荷物検査と金属探知器の通過以外は特に何もなく、問題なく現地に到着。拍子抜けするほど簡単に着いてしまったので、イメージよりは遙かに近いのだなぁと、妙に感心したものです。

空港ではさっそくお母様が我々を温かく出迎えてくださり、食事に招待してくださいました。食事前にみんなでテーブルを囲んで軽く談笑しましたが、主に学生時代の友人や、彼の仕事仲間やそのご家族の皆さんだったので、当時やそれ以前の彼の話から最近の皆の動向まで、まあいろんな事を話したものです。当然といえば当然ですが、みんな基本は家族持ちなので、子供の話や所帯じみた話題なんかも...。お子さんを連れて家族で見えられた方もいたのですが、子供同士はすぐに仲良くなりますね。それ故、静かな料亭がその時だけ保育園状態に(笑)。皆変わっていたところもあり、変わっていないところもあって、多いに盛り上がりました。料理は北海道らしく毛ガニがまるごといただけたりなんかして、大変美味でした...よかったです。

前後に少し時間が出来たので、友人と一緒に釧路の街を散策してみました。友人おすすめの、駅前からわりと近い位置にある“和商市場”にいってみました。いろんな海産物が売っていましたが、やはりメインはカニですか。地元であがる“花咲がに”と毛ガニが所狭しと並べられ、確かにお安い値段で売られていました。私が行ったのは閉店間際だったせいもあり、なんと花咲がに3ヶ+毛ガニ(小)1ヶを4000円でゲット!思わず自宅の両親に送ってしまいました(笑)。地元の方も観光客も相手に営業しているので、お店の方もきちんといろいろ教えてくれます。あと、“勝手丼”と呼ばれるご飯に好きな具をのせていただける丼ものがあるのですが、これがうまい!値段はそこそこ(高級ネタを選ばなければかなり安くなります)するのですが、ぜひ一度は召し上がられるといいかもですね。イクラやウニのお味にかなりビックリしました...。

次の日、旅館でまったりした後、故人が眠る墓地に皆で会いにいきました。釧路の湿原が一望できる、素晴しいロケーションに彼は佇んでいました。彼の好きだった北海道ビールをお供えし、各々が再会を果たした後、皆で釧路を巡って想い出を深めようということになりました。まず摩周湖方面に抜けるため、日本一ゆっくり走る列車“トロッコ号”に乗ってみました。なかなか雰囲気のいい車両にみんなそれなりに期待(?)していたのですが、どうも様子がおかしい...発車時刻になっても発車しないし、やっと発車したら、なんかものすごいペースで電車が進んで行きます...これ都市部の列車と余りかわらんよな(汗)と皆で見合わせてしまいました。後で聞くと他の連絡車両が遅れたため発車時刻を遅らせねばならず、しかし最終的な遅延も許されないということだったようで、一部観光客が乗務員に詰め寄ってかなりな険悪ムードにすらなっていました。やれやれ。ちなみに乗車すると、記念のしおりをくれたりします。その筋には価値があるのかな?

でここから摩周湖へ...ということになっていたのですが、非常に残念なことに私は所用でどうしても途中で東京に帰らねばならず(涙)、仲間とはここでお別れすることになりました。夕刻までに空港に行けばよかったので、お母様&仲間を見送ってからともかく釧路に戻りました。

それまでは知らなかったのですが、観光地では観光タクシーと呼ばれる個人向けにいろんな観光スポットに連れて行ってくれるタクシーがあるようで、お母様の薦めもあったので今回はそれを利用してみることにしました。運転手さんがなかなか良い方で、こちらの希望をいろいろ聞いてくださったので、かなり楽しめたとは思います。料金も内容によるのですが、15,000円ほどだったので(本当はもっと割高らしい...運転手さんごめんなさい)、ありがたかったです。

で、どこにいったかというと、まずは釧路港を一巡りして、かるーく地元の説明から。基礎知識がなかったので大変ためになりましたです...。次に、釧路湿原およびその周辺施設へ。外の風に当たるのは実はわりと好きな方なので、ここは本当に楽しめました。お盆の時期にもかかわらずわりと人が少なくて、だだっ広い沼地の間を縦横無尽という感じで、運転手さんを引き回してしまいました...。湿原というとおり、沼地に草木が生い茂りその中に木製の回廊が前後左右に渡してあるといったところなので、この手の環境が好きな私としては自然の匂いを楽しみつつ、かなり歩き回ったりしていました。けっこう珍しい草花なんかもあったりして、とても爽快な心持ちがしたものです。

あとはタンチョウヅルでしょうか?釧路は野生のタンチョウヅルが、子育てや越冬のために毎年やってくる土地だそうで、地元の篤志家が提供する越冬地(名前が冠されてたりします)から川辺や近隣の畑にいたるまで、タンチョウヅルがわりといたりするそうです。私が行ったときも、なんと2度も畑でエサをついばむタンチョウヅルを目撃してしまいました。実際は時期ではなかったので、野生のタンチョウヅルに会ったのはそれだけでしたか、地元の方しか知らない越冬地情報なんかを運転手さんからうかがい、実際のタンチョウヅルを見るため“釧路市丹頂鶴自然公園”にも足をのばしました。公園内ではタンチョウヅルが飼育されていて、15ほどある飼育檻から間近に観察できるんです。さすがに人慣れしていて自然のそれとは違うとは思うのですが、ともかく本物には違いないので、興味のある方はいかがでしょうか?

そんなこんなでいろいろ楽しめた釧路だったのですが、帰りはぎりぎりの時刻に飛行機に飛び乗り、はぁはぁしながら東京に帰りました。こういうスケジュールは今回だけ、と思っていたのですが、またまたやってしまうんですよね...私の性格に問題があることは否定いたしません(汗)

Modified on 2004/05/07



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2003 年 09 月のできごと

う〜ん。現在思い出してますぅ(^^;

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2003 年 10 月のできごと

う〜ん。現在思い出してますぅ(^^;

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2003 年 11 月のできごと

う〜ん。現在思い出してますぅ(^^;

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2003 年 12 月のできごと

今年ももう終わり? ずいぶんいろいろなできごとがあったなぁ...と思ってます。ともかく激動な1年間だったと。へろってます。

思えば遠くにきたもんだ

本当にひさしぶりにここをいじってます...なんなんだ、というのはおいておいて。今年はずいぶんと我ながら自分をいじった1年だなぁと思ってます。海外研修(?)から離職、失業、再就業...となかなかバラエティな日々。その中でお会いした様々な方々との交流。かなりな収穫とかなりな疲労に苛まれる日常。自分でも我ながら、自分に驚いているところです。

失業はある程度予測できたし、就業に手間や時間がかかることも十分わかっていたことなのでこの点はどうということはありませんが、いままでのいろんな(どちらかというと後ろ向きな)考え方を吹き飛ばしてくれる人々との交流は、思ってもみませんでした。お仕事上の一線級エキスパートな方から、商社マンや派遣の皆さん、はては公園でお会いしたおじいさんまで、本当に自分の考えをしっかり持ちそれを主張する、できるというのは自分の肝の据わり方なんだな、と勉強させていただいた次第。

結局私はなんなんだ、といわれれば、あいかわらずへろへろな日々を送っているわけではありますが、来年はひと味違う自分をビルドしたいもんだ、と思っております。

Modified on 2003/12/12



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2004 年 01 月のできごと

また始まってしまった...。どうなることかわかりませんが、よろしくお願いします。

慣れてきたかなぁ

ようやく世の中に対して慣れてきたせいか、徐々に落ち着いてきました。いままで職場と自宅の往復で(今もそうではあります)、ほとんで仕事してるか寝てる以外の作業が出来ない状況だったのですが、ちょっとずつ回復傾向にあるようです。

ところで、今の職場には付近に川が流れているので、時折散策に出かけることがあります。天気がいいときはけっこうな人が繰り出していて、河川敷のベンチで休んだり、地べたに座ってお弁当を広げたり...。なかなかのどかな光景ではあります。ちょっと奥まった場所では高校生が車座に座ってタバコふかしながら談笑...って、のどかどうかは微妙ですが、まあ各々楽しくやってますという感じ。

河川から川を眺めやると、けっこうな間隔でタグボートやら貨物船(もちろん小さいのね)やら水上バスが、瞬く間に通り過ぎていきます。船って乗ってると割とのどかに走っているように感じますが、本来はなかなかのスピードなんだなと思い直すことしきり。“川は水の道路”ということがあらためて思い出される次第。

川なのに水鳥が、鳩と仲良く共存しているというのも、ここで初めて見る光景でした。さすがに入り乱れているということはなくて、それぞれのテリトリ(というか仲間が1匹降り立つと、そこに群れる習性らしい)で、それなりに楽しくやってると。他の港でもそうなのでしょうが、人慣れが激しく、かなり近づいても逃げることはありません。今は冬なので、雁(だと思う)なんかもときおりひなたぼっこしていて、それなりに暇つぶしを提供してくれます。ちなみに糞が欄干に多数へばりついているので、潔癖性な方はアレげかもしれません(笑)。

路線としては限りなく公園に近いニュアンスな場所なので、いろんな人がやってきて、思い思いに過ごした後、そそくさと帰っていくという感じ。気のせいか鳥たちも、それに合わせてどこかへ行ってしまうようです。とりのこされた私っていったい...(汗)。

Modified on 2004/01/17



普通って?

最近の職場での話題で、まあ仕事の話を別にしてよくでるものに、“一般人”というのがある。なんでも普通の人になりたい、あるいは普通の人と呼ばれたい願望とでもいえばいいのかしら、ともかく誰れが一般で彼れが一般でないのか、結構しょーもない盛り上がりをみせたりしているものである。

虚心に考えると、一般=常識を尊重する、のかしらん?そう考えると自分としては、一般かどうかの前にそもそも土俵に上がれない気もするところなのである。

それとも、一般=コンセンサスを再定義できる大人な人、かしらん?確かにこれなら憧れるなー、でも真剣に自己評価した瞬間に愕然とするので、これは見なかったことにしておこう(笑)

Modified on 2004/01/17



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2004 年 02 月のできごと

う〜ん。現在思い出してますぅ(^^;

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2004 年 03 月のできごと

う〜ん。現在思い出してますぅ(^^;

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2004 年 04 月のできごと

今年も行って来ました。例の企画。ということでレポートを書こうかしらん。

Microsoft MVP Global Summit in 2004

まず一つお詫びがあります。去年の2月にレポートした研修ですが、実はMicrosoft Most Valuable Professionalという称号をマイクロソフトからいただいた関係で招待された、いわば世界のマイクロソフト製品に関してのエキスパートの集まりだったわけです。今年もこの会が行われるということで、なんと参加が許されました(驚)。今年はこの時期に、シアトルに行って来た次第というわけです。去年の経験から、今年はもっとマトモに...と考えていたのですが、結局心構え一つ変えずに本番の日となりました。

準備は結局当日の朝、事前に予約をしておかなかったので成田エクスプレスも立ち席で乗り継いで...といった次第でようやく成田空港に到着。今回は従来の数倍の参加人数だったので、かなりな大所帯の旅行と相成りました。

昨今のテロの影響か、今回はセキュリティチェックが厳しくなっていました。私も去年は問題なく通過できた金属探知器で引っかかってしまい(実はほとんど同じ服装だったのにもかかわらず)、調べるとベルトのバックルが原因だったようでした。今年もNorthWest Airlineを利用したので特に変わったことはなかったはず(食事がややよくなったかも)でしたが、なぜか機内で眠ることができず、シアトルについたあたりですでに朦朧モードになっていました。で、今回は慣れも入ったせいか、迎えのバスに乗るとすぐに睡魔が襲ってきました(この後全編で悩まされるのであったのですが)。

ワシントン大1今年の“視察”は去年いけなかったメンバのため、セーフィコフィールドにちらりと寄った後、ワシントン大学のキャンパスにいってみました。かなりの歴史と伝統のある州立大ということで、自然と古い建物が醸し出す美しい街並み(大学は基本的に学園都市の形態です)に、大変居心地のよさを感じてしまいました。私の出身大学もわりと緑が豊かなレイアウトを持っていましたが、桁違いの内容にただビックリし、また感動しました。シーズンには30 mも水柱を吹き上げる巨大噴水とか、手入れされた芝生にちょこちょこ歩く鴨たちが印象的でした。ほとんど人を見かけなかったので不思議に思い訳を尋ねると、日曜の午前中アメリカの人は教会に出かけるのが普通なので、学校に来ないのだろうということでした。こちらの大学は基本365日営業なので、何かにつけて休みを設けて学生を排除したがる日本の某学校とはずいぶん違うなと、感心したものです。ちなみにこちらの学校は日本のそれと規模が違う寄付が普通にあるようで、校舎類は寄付金で建築されたものがあります。いろいろな建物の脇にプレートが立っており、寄贈した人の名前が付いていたりします。某大手ソフトウェア会社創始者の親族が寄贈した建物もあったようです。

ワシントン湖畔(ビルのおうちじゃないよ)次にワシントン湖に出向き、遊覧船(?)で一周としゃれ込んでみました。特になんてことはない、ただの遊覧観光...と思っていたのですが、なんでもお金持ちのおうちが多いこの界隈、いろいろなお金持ちのおうちが湖畔側から見回せるのですが、突然船のエンジンが停止...と思ったらとある著名人のおうちが目の前にあるというではないですか。いや、確かに立派なおうちでしたねぇ、なんかビーチっぽいのもあるし。なんでも徐々に拡張を続けた結果、このようなおうちの構成になったそうで。でも、他のおうちも結構ひけをとらないすごいゴージャスなものだったりしました。ただ湖上はさすがに寒かった!みんなふるえて船内の売店でコーヒーを買って飲んでいましたね。湖上の観光案内を船長みずからおこなってくれるので、なかなか楽しかったです。

この日はこの後、入所のための手続きを行いました。これはパーティも兼ねていて、皆さんの明るいことといったら!詳細については割愛しますが、おいしい料理と楽しい仲間、名物メンバ(?)のごあいさつなど、さっそくの盛り上がりを見せていました。その後、今回は仲間が大勢いるので街に出て食事&親交を深めてその日は休みました...ケーキが特においしかったお店でGoodでした。

ホテルは去年とは異なり、インターネット配線が来ているところだったので、自宅のメールや各種情報をとるのには困らなかったです。わたしにはびっくりな高級ホテルを利用させていただいたので、とても快適に過ごすことができました。ただしバスに入るときには転倒に要注意!

朝食の風景翌日からいよいよ本番の研修が始まったのですが、今年も朝が早かった(笑)。今年は大所帯のため、ご迷惑がかからないよう去年よりさらに早い時間にシャトルバスでマイクロソフトの“キャンパス”(マイクロソフト本社の構内はこのように呼ばれます)へ。去年は周りの方への対応(隣り合ったらとにかくお話するのがマナーなので!)に手一杯でよく気がつかなかったのですが、途中“フローティングブリッジ”と呼ばれる長い橋架をわたるのですが、これが変わっていて湖に張り付いた道路のようなイメージなんです。地形の関係で架橋のための柱を建てられないということで湖に浮いているようなスタイルの浮き柱(?)に橋を渡しているような形です。視察の時に撮った写真をご覧いただければ、なんとなくイメージがつかめるのではないかと思います。朝食は去年の実績に誰かがクレームを入れたのか、“辛み”なアイテム(ハムとか肉製品)があったので、個人的には大変ありがたかったです。おいしくいただけました。会場に早く着けたことで余裕を持って準備を行うことができ、結果助かりました..ありがとうございます。

とある風景ごはん食べたら、いよいよ本番モード...となるのですが、これについての詳細は記述できませんのでごめんなさいです。基本的にはマイクロソフト各製品についてのセッション(専門別に分かれているので)とそれに付随したテクニカルなディスカッションです。いうまでもありませんが全員がその道のエキスパートですので、かなり突っ込んだ話がほとんどです。そういうスタンスでかつネイティブな英語が全開モードですから、私は汗ばかりかいていました。で、その後は親交を深めるためのパーティがあったりなんかして。ここでもマイクロソフトの担当者と直接話ができるので、いくつかいいたいことを無理やり言ってみたりしました。

そうそう、MVP全体でのパーティというのもあって、ここでは皆さんが(マイクロソフトな方もMVPも一緒に)飲めや歌えやの無礼講で楽しむことができました。MVPで構成されたロックバンドの生演奏や“KARAOKE”(カラオケ)大会(結構うまいんだな、これが)やX-Boxでのゲームとか、かなりの盛り上がりとリラックスタイムを過ごすことができました。わたしは去年お世話になった現地のMVP Lead(MVPと直接コンタクトをとるマイクロソフト社員)とお会いすることもできました。

日程にはエグゼクティブからの基調講演や質疑応答な時間もあって、全編とてもフレンドリー&フランクな雰囲気のなかにも、エッジな部分が...というところで、去年同様楽しむことができました(去年はBallmerとのやりとりでとても楽しいエピソードがあったりしたのですが)。Steve Ballmer最高!っていう独特の雰囲気があって、これこそがマイクロソフトを支えているんだなぁとしみじみ思ったりしたものです。

確かに英語には今年も苦しみましたけれど、周りの方はそんな私にもあたたかったですし(去年と同様)、他から聞き及んだところでは、ヨーロッパからの参加者でも英語が大変だったという方もいたようなので、去年ほどコンプレックスに悩むことはなくなったかしら。なんとかいいたいことも最小限発言することができましたしね(伝わってなかったらどうしよう)。

基本的にマイクロソフトの皆さんはとてもフレンドリーかつ温かく(英語のよく分からない私にも)何かに困るといったことはありませんでした。まあ今年は英語に堪能な仲間もいたので、そのせいもあったのかもしれません。ご尽力いただいたマイクロソフト米国本社の皆さまと、日本側の沼口さん、鈴木さん、小島さん、原水さん、小板さん、松井さん、関根さん、平山さん、添乗員の山口さん、現地ガイドのヨーコさん、お世話くださったみなさん、本当にありがとうございました。

シアトル市内ちなみに研修終了後、Public Market(Pike Market)に仲間と出かけてみました。去年は早朝にいったのでなかなか盛況な様子が分かりませんでしたが、今回はとてもよく分かりました(笑)。ちなみに買ったのは出かけに寄ったドラッグストアでガムを2つ買っただけ(ケチといわれても仕方ありません)でしたが、とても天気が良かったので、最後にも楽しめてよかったと思っています。魚屋と観光客向けの怪しげなお店のマッチがなんともいい...。

帰路ではみなさんぐったりモードでしたが、ともかくいろいろ楽しめたし、見識を深めることができたのは、個人的にありがたかったと思います。MVPは1年限り有効なので来年どうなるかはわかりませんが、次の機会があれば他の外国人の方ともっと仲良くなりたい、と思っています。実は前回、オール外国人に囲まれた展開でかなりがんばってコミュニケートしてみたのですが、今年はちょっとパワーが落ちたかもしれない、というのが今回の反省点だったりしました。次はなんとかクリアしたいけど、敷居が高いかなぁ(^^;

Modified on 2004/04/30



この月はここまで。

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2004 年 05 月のできごと

今年は、かなり人並みなゴールデンウィークを取った...かな?我ながら信じられません(汗)

初めての九州 1

去年からなんだかんだいって、ちょっといろんな所に旅していますが、せっかくのゴールデンウィークということでもあるし、人並みに旅行でもしてみようかしらん、とおぼろげなら考えていました。で、九州にお住まいのMVPなかたに相談したら、大分の秘湯に連れて行ってくださるというではないですか。

それならばということで、ともかく大分まで行ってみることにしたわけです。やっぱり飛行機はお金がかかるし、ゴールデンウィーク真っ最中とあって、“今から行きます”では無謀すぎるとは承知だったのですが、ともかく新幹線で小倉までいき、そこから特急で大分に行きました。

最近は便利になったもので、web ページにあるような検索ページに時刻表から何まででますので、おおよそその通りに行けました。05/03から出たせいで、何とか新幹線にも座れましたし、特急ではお弁当も食べてみたりしました(おいしかったです)。ただ特急は地元の方が足としてお使いになっているせいか、観光気分にはあまりならずどちらかといえば、通勤している趣もあったりしたものです。

大分駅にて大分に着くと、さっそく看板がお出迎えしてくれたのですが、どちらかといえば大都市の橋上駅をイメージしていたので、おぉと感激することしきり(きらいではないんです...ああいう趣は)。で、出てから宿を取ろうと思ったのですが、さすがにこれはどこも空いていませんでした。仕方ないので、駅から少し離れたビジネスホテルに強引に宿泊。時間が出来たので、電話で連絡すると食事をするため、迎えに来てくださいました。

食事は地元のラーメン屋さんだったのですが、これがおいしい!んです(九州とんこつとチャーハンでした)。一応チェーン店なので、遠くない未来に東京でも食べれるのかしら、なんてつらつら考えることしきり。で、軽くドライブを...ということで、ちょっと地元を回っていただきました

なかなか壮観な別府湾を車越しに拝したりしたのですが、夜だったのでいまいちよくわからず、それならと“例の秘湯”の案内をお願いしてしまいました。数カ所あるとのことなので、マズは“わりと部外者にも人気”な温泉にいくことに。知られているといってもその存在が雑誌やweb情報で出ているというレベルで、どこにあるかはやっぱり地元の方でないと分かりません。それでも数年行ってないとのことでしたので、我々もうろうろしていると、やってきた対向車から突然質問が。“すいませ〜ん。この近くに温泉あるって聞いてきたんですけど〜。”

なんでも東京から来られた“温泉命”な学生カップルさんとのこと、右往左往する私に変わって“地元MVP”の心意気をみせるべく、私を含めた3人でいそいそ彼についていく流れとなりました。

最初の秘湯は人里離れたとはいえ、脱衣所や湯船もコンクリートで細工されてたりして、そこそこ手が入っているといった感じでした。ただし照明の類がまったくないので、まさに真っ暗!手探りで進もうとすると、すかさずペンライトが...さすが地元MVP!と感激したら“つい先日マイクロソフトにもらったグッズですよ”だって。それでもありがとうございますm(_ _)m

ところが残念なことに、肝心なお湯が...。湯枯れしてしまっており、入浴はおろか手を浸すことも出来ません。みんなで顔を見合わせていると“じゃあ別の場所に行ってみますか?”。3人で2つ返事で頷くと、まずは車で移動ということに。唯来ただけなのもアレなので、真っ暗な中で記念撮影をしてみたりもしました(汗)。

とりあえず車で次の場所に移動したのですが、ところがこれが半端な移動じゃない。元々、山の中腹に最初の秘湯はあったのですが第2に秘湯はそれよりさらに上の方の山奥に...。未舗装なのは当たり前、道路の凹凸も基本は自然のなすがまま、年に数回ブルドーザで補修するといったものだそうです。そんな中の行軍ですから、ダートコースのレースみたいな状態でした。彼はさすがに4WD軽なマシン+レース経験ありな腕前を存分に発揮し、難なくクリアしていきます。しかし後続のカップル車は、普通のレンタル乗用車だったので、さすがにきつそうです。それでも彼の一声“チャブーンさんラッキーですよ!これ、最近ブルドーザ入ってますね。じゃないと普通は無理なんです、ここ通るのは”だそうでした...。

で、やっとの思いで車が停められるところまでくると、やおら硫黄の香りが。“ここから歩きますよ”とのことでしたので、これまた3人で彼についていきます。これまた月明かりしかないところを、湧き水が流れる中ゆるゆると上っていきます。傾斜はさほどないのですが、ともかく足場が悪い。私も何度か転びそうになりましたが、カップルの彼氏も転びそうになって、そのたびに彼女にツッコまれてました...。これが今風カップルなのか、とほほえましく感じることしきり。

突然景色が開けて、少し歩くと、その温泉はありました。山の傾斜の真ん中にぽこっとあると行った趣で、脱衣所も何もない、至ってシンプルな温泉でした。温泉を引っ張るための導管と、かなり熱い温泉を薄めるための水道管があるだけ。湯船は石とコンクリートを組み合わせたと思われる、“地元民専用モード”な5人入れるかしらといったこじんまりしたもの。先客が入っておられたので、まずは和やかに挨拶から(笑) 付近に物置台兼用と思われる大石がころがっていたので、そこに全部脱ぎ捨ててさっそく入ってみたのでした。

いや...すごく気持ちよかったです。これが昼間で外の景色見えたらもっといいんだろーな〜な具合でしたが、夜でもなかなかオツでした。カップルはどうするのかしらと思っていたら、さすが温泉マニア、物陰でさっと身支度して男女とも入ってこられました。4人でお湯の評価や温泉談義をひとしきり(笑)。お湯は基本硫黄質の白濁なものとのことでしたが、夜だったのではっきりとは分かりませんでした。日頃から銭湯な熱いお風呂に入る私には、堪えられない温泉ではありました。

しばらくのんびり浸かっていると、後客もやってきたので程々で失礼し、まずは車まで戻りました。で、この後どうしようという話になった時、もう一つなじみのお湯がある、との話になり、今度のところはそれなりに遠いし、せっかくだからみんなで1台の車で行きましょうとなりました。カップルさんの車を置くため宿泊場所までいってから、第3の秘湯に向かったわけです。その過程で、カップルさんが過去いろいろな温泉にいきまくり今回も日程のほとんどは温泉巡りに費やしていること、東京の某所が活動拠点で私の住み処と近いこと、わりとマニアックな車やバイクにかなり詳しいこと、などなどが判明しました。地元MVPな方もバイクを駆ったりレースされるので、大変詳しい話が飛び交っておりました。もしかして、我々IT系な人の話って外から聞くとこう聞こえたりして...。

おりからの台風接近で、このときにはかなり大雨が降っていたのですが、そんな中でもともかく到着。今度はちゃんと門構えもあるわりと鄙びた感のあるお風呂でした。雨の中這々の体で、ともかく脱衣所へ。ここは一応セルフサービスな料金箱があったので、お金をチャリーンといれたあと、入浴。

ここの温泉は前の2つとは違い、ちゃんとした露天なお風呂の体裁が整ってました。銭湯より広いし、風呂桶もあるし(基本的にこういった温泉は身体を洗う場所ではないので、椅子とかはないです)。身体を清めてゆったり入ると、これもなかなか気持ちいい。ですが雨のせいかなんだがお湯がぬるい...仕方ないんでしょうが。そのうち雨がどんどんひどくなってきて頭や顔に当たるので、ヘルメット代わりに桶を頭からかぶってみたりもしました(汗)。

結局1時間近くお湯に浸かっていましたが、そろそろ出ようということで、最後に湯布院方面やそちらの温泉施設を回ったりしました。あちらの施設は施錠とかしないものも多いので、“コッソリ入ってみようか”とがらりと扉をあけると、同じ事考えてる入浴中の人にバッタリ、なんてこともあったものです。結局明け方近くまで徘徊して、カップルを送り届けた後、私もホテルまで送っていただきました。大変エキサイティングかつ癒されスポットに行けだけでも、この旅十分満足だったんですが、この先もありますので、はい。

Modified on 2004/06/28



この月はここまで。

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